ポケットモンスター 赤 / 緑


対応機種ゲームボーイ(13色対応)
発売日1996/02/27
価格3900円
発売元任天堂

(c)1995 Nintendo / Creatures / GAME FREAK
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「育成」「収集」「交換」がアツいロールプレイングゲーム。
TVアニメ等のメディアミックスで爆発的ブームを起こした人気ゲームだ。

ゲームシステムやインターフェイスは「ドラゴンクエスト」を踏襲しているが、バトルシステムが大きく異なる。

主人公自体は戦わず、ポケモンと呼ばれるモンスターを呼び出して戦う。ポケモンは敵としてエンカウントしたときにHPを減らすなど弱らせてからモンスターボールを使って捕獲する。これを繰り返し仲間を増やしていく。
戦闘は1vs1で行うが、ポケモンは最大6匹まで持ち歩けて、1ターン消費して好きなタイミングで入れ替えができる。
ポケモンには様々な特性があり、弱点となる攻撃を加えると「効果は抜群だ!」と表示され、大ダメージを与えることが出来る。
こうやって相手が苦手となるタイプのポケモンを出して倒すのが基本戦術なのだが、かならずしもこの戦略が有効ではないのが、このゲームの面白いところだ。
眠りや混乱などの状態異常でうまく動けないようにしたところを削り倒すなど、攻撃の種類が多彩で幅広い戦い方を盛り込んでいる。
しかしここが良く練り込まれているところで、状態異常を食らっている方もやられっぱなしではなく、1ターン消費してアイテムで治したり、別のポケモンに入れ替えたりして対抗出来る。

ポケモンに付けられているタイプ(特性)も、1種類というシンプルなものではなく大概が2種類(例えば虫タイプで空を飛んでいれば飛行タイプも特性につく)ついており、属性相関図もより複雑になっているのも深みを出している。
他にも、LVを上げたり「わざマシン」で沢山の特技を覚える機会があるが、ポケモンが一度に覚えられる特技は4つまでで、育成方針次第で火力型だったり状態異常で嫌らしく攻めるタイプだったり、同じポケモンでも全く異なった性能を持たせることが出来る。

こうやって1vs1という今更感が拭えない実に古臭い戦闘システムを、力技で面白く仕上げているのである。

ゲームの目的は、「ポケモン図鑑を完成させる」「ポケモンリーグで優勝する」というシンプルで無駄のないものになっており、恐ろしいぐらいゲーム性だけがむき出しになっている。
恐ろしいというのは、全く保険をかけていないからだ。RPGならば、ストーリーや世界観、キャラクタ等で餌をまき、客寄せに活用するものだが、このゲームでは最低限のものしか作っていない。
ゲームボーイだから容量が厳しくそうせざるを得なかった側面もあるのだろう。それにしたって、このゲームの作り方は捨て身的で、企画自体に絶対の自信を持っていなければ出来ない芸当だ。

プログラム周りも、荒唐無稽なゲームが多いGBの中では丁寧で、初期出荷版はどうやら通信ケーブルの処理周りに致命的なバグが多く残っていたようだが、それ以外は奇麗な仕上がりである。
スーパーゲームボーイにも対応しているのだが、戦闘シーンではポケモンごとに対応した色がしっかり付けられている。
当たり前のことだから凄さを感じないのが残念だが、パレットの切り替えがごく自然なタイミングで行われているのが実は凄いところだ。

ゲームデータは一個しかファイルがないが、これには理由があって、ポケモンの仕様上特技からパラメータといった細部まで個体差があるためそのすべてを記録する必要があり、そのポケモンを約250匹まで保存できるようにしているためだ。
こんなに保管できるようにしているのは、このゲームの肝である「育成」「収集」に不自由さを感じさせないためである。よくこれだけの保存領域を確保できたという驚きすらある(代わりに持てる道具が預かり所を入れても少なく犠牲になっている)。

さて、このゲームは天下のファミ通のクロスレビューで低得点の評価を与えられたのは有名な話である。が、自分はその評価に一理あると感じている。
なぜならこのゲームは、一人で遊ぶのが当たり前だったRPGで、通信ケーブルを使ってデータのやり取り(交換や対戦)を出来るようにしたところが画期的で最も面白い部分であり、その面白さが評価されるためには、前提としてゲームが売れなければならない。流行らなければならない。

ここで少々話が逸れるが、ゲームに点数をつけて評価する方式は個人的に好きでない。ウチのサイトでも最後に駄作、凡作など段階的に切り分けてたりするが気分的なもの(例えば超大作で売り出してるのに凡作って書いてるのは皮肉みたいなモンだ)で絶対値、相対値ではない。
面白さの方向性はそれぞれであり、それを点数で表現するのははっきりいって不可能である。なぜゲームに限って、この評点方式がここまで普及してしまったのかが理解出来ない所だ。

話を戻すが。

一人で遊んでいる分には、ところどころ作り込まれててレベルが高いゲームには見えるものの、ずば抜けた完成度を見せる部分は無い。
それどころか欠点ばかりが目立つゲームになってしまっている。

エンカウントシステムが変わっていて、ポケモンとは特定の場所(草むらや洞窟)でしかエンカウントしないが、道端にいるポケモントレーナーに見つかるとバトルになるシンボルタイプの2種類ある(一度でも倒すと同じシンボルからはエンカウントしなくなる)。
ところが、マップが狭いことをごまかすためかエンカウント率が結構高いし、ポケモントレーナーも数が多く、結局は希薄なシナリオを進めながら、目の前の敵をだらだら片付けるだけの単調で作業的なゲームになりがちである。

また、持てる道具の数が少ないのに、ゲーム後半になると怒涛のようにお金とアイテムが手に入り保管先に困ることになる。

赤と緑の2つのバージョンがあるが、出現するモンスターが違っていて、図鑑を完成させるためには通信ケーブルを使って他のプレイヤーと交換しなければならない。
このゲームの目標の一つである「ポケモン図鑑の完成」が一人ではどう頑張っても達成できないのは、大きなストレスとなるだろう。

つまり、このゲームが初めて面白くなるのは、周りでプレイしている人がいて、通信プレイ出来る環境にあってこそ真価を発揮するのであって、ブームが起きなければ、間違いなく埋もれていた作品である。
とうぜんだが、このブームは任天堂が“仕掛けた”ものだ。発売当初からよくコロコロコミックに取り上げてもらっていたし、スーパーマリオクラブでも専用のコーナーを作ってなんとか流行らせようとした(でもあのTVコマーシャルだけは本気さを感じない)。
さもゲーム自体がよく出来ているからクチコミでブレイクしたなどというイメージを持たれているが、決してそんなことはない。巧みな広告活動の一押しがあってこそ狙い通りの効果を出しただけだ。勿論これはゲームそのものが良く出来ているという前提条件が必要ではあるが。
色違いで2バージョンだす辺りなんかは実に狡猾な販売戦略だなと思う。

そんなわけで、ゲーム全体が通信プレイに依存しているのが、実に強気で捨て身な作り方だなと感じた。
実のところ、育成だって対戦相手がいないと従来のRPG同様の完全な自己満足で終わってしまうし、そうなると余所のRPGと比べあまりにもアドバンテージがなさすぎるゲームなのである。
本当なら一人プレイをもっと面白く仕上げてお茶をにごすことだって簡単に出来たのだろうが、それをやらずに中身を作りこんできた。素晴らしい。そこで結論。

昔気質のRPGを力押しで売り上げた力作!





[2011/03/22]
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